乳酸菌のパワー
乳酸菌のお話
乳酸菌とは、エネルギー源として利用する糖から50%以上の乳酸を作り出す細菌の総称です。
従いまして、広義の乳酸菌には分類学的に様々な種類が含まれ、
中には多剤耐性病原菌として病院から検出される細菌の仲間に属するものもいます。
しかしながら、これでは誤解が生じる可能性があるので、ここでは
「エネルギー源として利用する糖から50%以上の乳酸を作り出す細菌のうち、通常病原性が認められず、
しばしば発酵食品などから検出される細菌類」と定義します。
この定義からも、厳密にいうと、ビフィズス菌は乳酸菌には含まれません。生産する乳酸の量が50%に満たないからです。
従いまして、通常「乳酸菌とビフィズス菌」と並列して書くのが慣例となっています。
ここではビフィズス菌以外の食用乳酸菌についてお話致します。
乳酸菌の種類
乳酸菌の種類を分類学的に区別しますと、種~亜種レベルにおいて代表的なものだけでも300種類近くにもなりますが、
食用乳酸菌を区別する際にはDNAの違いに基づいた分類学的な分け方よりも、
乳酸菌が自然界で本来的に住んでいる環境によって分類する方が実用的です。
乳酸菌には、ヒトを含む動物の腸管内に住み、動物の乳などの環境で良く増えるタイプのものと、
野菜や漬け物、腐りかけた果物~果汁などの環境で増えるタイプのものとに大きく分ける事ができます。
近年、前者を動物性乳酸菌、後者を植物性乳酸菌と呼び分けるようになってきました。
両者の間には色々な違いがありますが、その一つに、生育する環境温度の違いがあげられます。
前者は哺乳類の腸管内などに好んで住みますので、哺乳類の体温に近い37℃ぐらいの温度で良く生育します。
一方後者は外的環境に適合しているので、低温にも強く、生育環境としては30℃前後の、
前者と比べれば比較的低温な環境で良く生育します。
ヨーグルトで使われる乳酸菌は殆どが動物性乳酸菌です。
ヨーグルトは栄養源として牛乳のみを用いますが、牛乳中で生育発酵する乳酸菌の種類は限られます。
植物性乳酸菌の多くは牛乳中では生育できません。
同じ事が植物性乳酸菌にもいえます。
日本各地の野菜漬けからは色々な種類の乳酸菌が分離されますが、
漬け物の多くは雑菌の繁殖を防ぐため、食塩を加えて比較的低い温度で漬けられます。
従いまして、漬け物からは、ある程度の食塩濃度や低温に耐えられるタイプの乳酸菌が検出される事になります。
ヨーグルトに使われるタイプの乳酸菌が漬け物などから分離される事は全く無いわけではありませんが、稀です。
乳酸菌と発酵食品
乳酸菌が関与する発酵食品の中で
代表的なものの一つがヨーグルトです。
ヨーグルトという言葉は古いトルコ語に由来しますが、
古代トルコ民族は中央アジア地域に広範囲に住み、
基本的に遊牧生活を送っていた人々です。
ヨーグルトの起源には諸説ありますが、
中央アジアから中近東周辺の遊牧の民の間で
自然発生的に生じた、
と大雑把に考える方が真実に近いと思います。
ヨーグルトは、牛乳中のカゼインタンパクが
乳酸菌の産生した乳酸によって凝固したものです。
低温殺菌処理を施す前の生乳には
乳酸菌の他にも様々な微生物が存在していますが、
乳酸菌が生乳中で増殖し、乳酸を産生して牛乳のpHが低下する事によって、これら雑菌の繁殖が抑えられます。
古代の遊牧民が、酸っぱくなって固まった牛乳が美味しくて日持ちする事を発見したその日がヨーグルトの起源、という事でしょう。
最近ではビフィズス菌や植物性乳酸菌を用いたヨーグルトも発売されていますが、本来的なヨーグルトは動物性乳酸菌で作られます。
漬け物もまた乳酸菌が関与する発酵食品で、本来的な野菜漬けの多くに乳酸菌が関与しています。
日本は漬け物天国といっても良い程に漬け物の種類が多い国ですが、中でも長野県木曾谷に伝わるスンキ漬けは、
スンキ菜と呼ばれるカブの一種を塩を用いずに純粋に乳酸菌だけで発酵させた野菜漬けとして有名です。
塩を用いない理由は、急峻な山々に囲まれた昔の木曽地方では塩が大変貴重であったためだ、という事です。
糠漬けで用いる糠床には色々な種類の乳酸菌が多数住み着き、糠床の微生物環境の保全に大きな役割を果たしています。
野菜漬けの技法は世界中で見られます。
欧州のピクルスやザワークラウト、中国のザーサイ、朝鮮のキムチなどが有名です。
ドイツのザワークラウトはキャベツの漬け物ですが、爽やかな酸味は乳酸発酵によるものです。
これらの野菜漬けに関与する乳酸菌の大多数は、植物性乳酸菌に分類される乳酸菌です。
一方で、奈良漬けや醤油漬けのように乳酸菌発酵があまり関与しない種類の漬け物もあります。
最近では、アミノ酸や調味料を混ぜて作られた液体に野菜を浸しただけの簡便なものも出回るようになりましたが、当然ながら、
これらの簡便な漬け物には乳酸菌の関与はほとんどみられません。
スンキ漬け ザワークラウト キムチ
乳酸菌が関与する発酵食品の中でも変わり種が、
フナ寿司に代表される「なれ寿司」です。
これは獲れた魚を塩と飯に漬けて数ヶ月間熟成させたもので、
現在我々が食べる江戸前にぎり寿司の原型です。
熟成期間中に乳酸菌が繁殖して乳酸を産生し、
雑菌の繁殖を抑えるので、
本来的には腐りやすい魚を日持ちさせるための
保存食だったと考えられます。
江戸前にぎり寿司で使われる酢飯は、従いまして、
なれ寿司の乳酸発酵して酸っぱくなった飯を模したもの、
という事になります。
「なれ寿司」の起源は東南アジアにあると考えられていますが、
現在でも東南アジア各地には
「元祖ご当地なれ寿司」のようなものが有るようです。
東京海洋大学では身近な沿岸海域~水域から得られる有用乳酸菌や酵母を「里海(さとうみ)乳酸菌・里海酵母」と名付けて
研究しておられますが、なれ寿司から分離される乳酸菌は、植物性でも動物性でもない「里海乳酸菌」なのかも知れません。
乳酸菌の機能性
乳酸菌の機能性に関しては、
乳酸菌の代謝の結果生み出される物質によるものと乳酸菌菌体を構成する物質によるものとに分ける事ができます。
ビフィズス菌を除き、ヒトの腸管内に存在する乳酸菌の種類と総数は他の腸内細菌と比べると非常に少なく、
これら定着型の乳酸菌によるヒトへの影響は比較的小さいと考えられますので、乳酸菌の機能性を語る場合は、
ヨーグルトや漬け物などに代表される発酵食品中の乳酸菌が有する機能性について主に語る事となります。
乳酸菌の代謝の結果生じる物質の代表として、まずは名前の由来である乳酸があげられます。
乳酸は急激な運動などの結果、解糖系と呼ばれるエネルギー産生システムによってブドウ糖から生じる中間代謝物質です。
これが体内でそのまま代謝されずに蓄積されると筋肉痛や疲労の原因にもなりますが、通常は、その後さらに代謝を受け、
最終的にはエネルギーとして利用されます。
漬け物やヨーグルトなどを摂取すると、乳酸の一部は大腸まで届き、
腸内細菌の働きによって酪酸やプロピオン酸などの短鎖脂肪酸に転換されます。
これらの短鎖脂肪酸は腸管内の吸収上皮細胞で吸収され、多くは体細胞のエネルギーとなりますが、
一部はその場で吸収上皮細胞のエネルギー源として利用されます。
また、乳酸菌にはバクテリオシンと呼ばれる、他の種類の菌を排除する機能を持った物質を分泌するものも居ます。
この物質はヒトにとっては安全無害ですので、これを抽出して雑菌汚染防止用の添加物として使おうとする試みもあります。
さらに、乳酸菌が作り出す物質の中でヒトの健康に役立つものとして、ガンマーアミノ酪酸、いわゆるGABAがあげられます。
GABAはもともとヒトの体内で作られる物質で、抑制系の神経伝達物質として発見されました。
GABAには、抹消の交感神経の興奮を抑制する事によって血圧上昇を抑える働きがある事が報告されています。
また、レニン-アンジオテンシン系に介入する事によって血圧上昇を抑える働きを持つ低分子ペプチドを生産する乳酸菌も発見され、
いくつかの機能性食品に使われています。
これら乳酸菌の代謝によって生み出される機能性物質の他に、
乳酸菌の菌体を構成する物質にも
多くの機能性が見いだされています。
乳酸菌はグラム陽性菌の仲間に分類されますが、
グラム陽性菌の仲間は
ペプチドグリカンと呼ばれる分厚い細胞壁を持っています。
ペプチドグリカンは
多糖分子が網目状に連なった頑丈な構造を持ち、
これをマクロファージなどの免疫細胞が貪食すると
免疫系が活性化します。
例えば、
腸管に存在するパイエル板という免疫装置の管腔側表面には
M細胞という特殊な細胞がありますが、
この細胞は腸管管腔内を流れる細菌菌体やウイルスなどを
積極的に体内に取り込む働きをする細胞です。
このM細胞によって乳酸菌菌体が体内に取り込まれると、
その後に、
マクロファージや樹状細胞などの抗原提示細胞と呼ばれる免疫細胞によって貪食されます。
これらの抗原提示細胞が乳酸菌菌体のペプチドグリカンに反応し、その後さらにT細胞などのリンパ球を活性化して、
最終的に免疫反応が活性化すると考えられています。
また、菌体表面にSレイヤータンパクや糖ペプチドなどの分子を持つ乳酸菌の種類もあります。
これらの菌体表面に存在する物質は消化管内で容易に剥がれ落ちますので、これらの物質による影響も考えられます。
さらに、消化管内で自家酵素によって溶菌した乳酸菌は、菌体内部の細胞質に存在するDNAやRNAなどの物質を溶出します。
色々な種類のトールライクレセプターと呼ばれる受容体が免疫細胞の表面や腸管の吸収上皮細胞基底膜上に存在しますが、
これらはペプチドグリカンだけでなく、細菌由来のDNAやRNAの断片を認識し、その後の様々な免疫反応の引き金となります。
ヒトを含む哺乳類は、腸管管腔に食物などを通じて入ってくる細菌に対して敵か味方かを区別する必要がありますが、
このような必要性が腸管免疫と呼ばれるシステムを進化させて来たと考えられます。
発酵食品中の乳酸菌の菌体が、腸管免疫システムの恒常性の維持に大きく働いている可能性が強く指摘されます。
ビフィズス菌のお話
ビフィズス菌は、いわゆる乳酸菌とは分類学的に全く異なる微生物です。
放線菌(アクチノマイセス門)と呼ばれる細菌に分類されますが、カビの種類にも近く、その挙動も乳酸菌とは大きく異なります。
ビフィズス菌はヒトを含む哺乳類の腸管、特に回腸から大腸にかけての嫌気度の高い環境に住み着き、
自然界で分離される事は殆どありません。
哺乳類の赤ん坊の腸管内は生まれ落ちた直後は無菌環境ですが(異なる報告もあります)、
ほどなく身近な環境から進入してきた細菌が増殖を開始します。
一旦は大腸菌などの雑菌が腸内で優性になりますが、すぐに母親の産道に由来するビフィズス菌が繁殖するようになり、
その後はビフィズス菌が最優勢となります。
哺乳類の赤ん坊は母乳で育ちますが、母乳中には病原菌に対抗する抗体が多く存在します。
この母乳中の抗体や他の抗菌物質によって、
赤ん坊の腸管に侵入した病原菌は発育が阻止され、排除されます。
最近の研究では、赤ん坊のビフィズス菌が母親の乳腺に定着する可能性が指摘されています。
すなわち、母親の産道由来のビフィズス菌は赤ん坊の腸内に定着後、
赤ん坊が母親のお乳を飲むことによって逆に母親の乳腺に移行するのです。
その結果、母親の乳腺内でビフィズス菌が増殖し、
今度はビフィズス菌入りの母乳を赤ん坊が飲むという好循環が生まれるわけです。
ビフィズス菌は優先菌種として赤ん坊の腸管内に定住しますが、
酢酸の産生などを通して腸管環境の維持に努める事となります。
ビフィズス菌は腸管内から排除されないだけでなく、
最近では、ヒトの体内にビフィズス菌を注射しても、
免疫系はこれに対する抗体を作りづらい事も
明らかになってきました。
このような現象から、ビフィズス菌のような善玉菌に対して、
ヒトは生まれつき合目的的に反応しないようにできている、
とも思えてきます。
ヒトと共生する微生物として、
数十~数百万年にもわたる共存の結果なのかも知れません。
個人に定住したビフィズス菌は一生にわたってその種類を殆ど変える事もなく、同じ種類が定住し続けます。
老化に伴って数が減少してきますが、その理由は分かっていません。
ビフィズス菌は、オリゴ糖など、ヒトの消化酵素では消化しづらい糖分子をエネルギー源として利用する事ができます。
その結果、酢酸などの短鎖脂肪酸を代謝物として排泄し、腸管粘膜の局所的環境を弱酸性に維持する事によって、
酸性環境に弱い腐敗菌などの繁殖を抑制する効果を持つと考えられています。
これらの腐敗菌によるタンパク代謝によって腸管内で発ガン性を持つ物質が作り出される可能性も指摘されていますので、
腐敗菌の増殖を排除する働きを持つビフィズス菌は、いわゆる善玉菌の代表選手であると見なされています。
一方で、ビフィズス菌は熱や胃酸に弱く、加えて、
自分の腸管内に定着しているビフィズス菌を外部から与えた他種のビフィズス菌で置き換える事も困難ですので、
生きたビフィズス菌を経口投与して腸管内に定着させ、そこで仕事をしてもらおうとする戦略、すなわち「プロバイオティック」な方法は、
これまで必ずしも上手くいっていないようです。
そこで、ヒトの消化酵素では消化できないけれどもビフィズス菌が利用できるオリゴ糖を摂取して、
自分自身のビフィズス菌を増やして働いてもらおうという考え方が出てきました。
自分自身の腸管内に定着している善玉菌を増やして働かせ、腸内環境を良くする目的で摂取するオリゴ糖のような物質の事を、
「プレバイオティクス」と呼びます。
乳酸菌とビフィズス菌に関する参考文献
●乳酸菌の科学と技術 乳酸菌研究集談会 1996 学会出版センター
●乳酸菌とビフィズス菌のサイエンス 日本乳酸菌学会 2010 京都大学学術出版会
●医科プロバイオティクス学 古賀泰裕編 2009 シナジー
●プロバイオティクスとバイオジェニクス 伊藤喜久治編 2005 NTS
●乳酸菌の保険機能と応用 上野川修一監修 2007 シーエムシー出版
●乳酸発酵の文化誌 小崎道雄編 1996 中央法規
●乳酸菌 小崎道雄 2002 八坂書房
●漬け物お国めぐり 農文協編 2002 農文協
●信州の漬け物 高野悦子 1980 信濃毎日新聞社