酵母菌のパワー

 

酵母菌のお話


麹菌はカビの仲間、乳酸菌とビフィズス菌は細菌の仲間、そして酵母は酵母として、また別の種類の微生物です。

乳酸菌は分裂により増殖し、麹菌は菌糸を伸ばして増えると同時に胞子を産生して子孫を残します。

酵母には分裂によって増える種類もいますが、食用微生物として頻繁に用いられる種類の酵母は出芽(しゅつが)と呼ばれる方法で増えます。

乳酸菌とビフィズス菌が原核生物に属するのに対して酵母は真核生物に属し、乳酸菌よりも複雑な内部機構を保持しています。

酵母とお酒


パスツール博士
パスツール博士

酵母は醸造の世界では非常に重要な微生物です。

酵母は糖からエネルギーを作り出すときに代謝物としてアルコール(エタノール)を産生しますので、

ワインや日本酒、ビールなど、全ての醸造酒製造において欠くべからざる微生物です。

 

お酒のエタノールが酵母によって作られる事を最初に証明した人物が、あの有名なパスツールです。

それ以前にもシュワンによって可能性が指摘されていましたが、

パスツールによって初めて疑問の余地無く証明されました。

 

パスツールの時代はまさに微生物学の黎明期であり、

発酵や腐敗は微生物の作用によって生じるという今では当たり前として考えられている現象ですら、

生物説と無生物説との間で大論争となった時代でした。

「白鳥の首型フラスコ」を用いてこの論争に決着をつけたのは、

生物学の教科書では必ず載っている有名なお話です。

 

白鳥の首型フラスコ
白鳥の首型フラスコ

酵母は酸素があっても無くても生育できますが、

酸素の有無により糖からエネルギーを得る経路が異なります。

酸素が有る場合は酵母は酸素呼吸を行って、

基質の糖から多くのエネルギーを得ようとします。

 

具体的には、1分子のブドウ糖から最終的に38分子のATP

(アデノシン三リン酸)と呼ばれる「エネルギーの通貨」を作ります。

酸素呼吸の結果、

ブドウ糖は最終的に二酸化炭素と水に変換されて排泄されます。

 

酸素が少ない状況では別の経路を用いてエネルギーを産生します。

このときには1分子のブドウ糖からわずか2分子のATPしか得られませんが、

副産物として2分子のエタノールが生じます。

エタノールは酵母にとっては邪魔者ですので、

そのまま排泄される事になります。

醸造業者は、このエタノールを回収して商売をするわけです。

従いまして、酒造りにおいては、酵母にたくさんのエタノールを作ってもらうために、

様々な手法を用いて酸素の少ない嫌気的環境を作りだそうとします。

 

 

近年の和食ブームに平行して、海外でも日本酒の人気が高まりつつあります。

 

日本酒の蔵本は日本全国津々浦々に存在しますが、大部分は小規模な地酒の蔵本です。

一方で、江戸時代には灘や京都の日本酒が全国ブランドとなり、生産が拡大した結果、

現代に名を残すような巨大な蔵本が誕生しました。

その後、時代によって生産量の浮き沈みがありましたが、

戦後の高度経済成長期には日本酒の生産も急拡大し、

過去最高を記録するようになりました。

しかしながらその一方で、質の悪い日本酒が大量に出回るようになり、

ビールや焼酎、ウイスキーやワインなどとの競争にもさらされて、

日本酒の人気が低迷するようになりました。

 

このような状況に歯止めをかけたのが、

当時の北陸や東北の小規模な蔵本で造られた吟醸酒と呼ばれる日本酒です。

吟醸酒そのものは戦前からありましたが、

日本人の間で広くその名前が知られるようになったのは、まさにこの頃だと思います。

 

従来の日本酒と吟醸酒の製法の一番の違いは、用いるお米の精米度にあります。

精米とはお米の表面を削って糠の部分を除去する事ですが、吟醸酒で用いるお米の場合、精米度は60%以下になります。

すなわち、お米の芯の部分のみを用いて作るのが吟醸酒、というわけです。

お米の表面を削って糠の成分を徹底的に排除しますと、お酒の雑味が減り、口当たりの良い酒となります。

一方で、糠にはアミノ酸やビタミンなどの栄養が豊富です。

精米することによってこれらの栄養素が排除される事となりますが、これらの栄養素は酵母の生育にとっても重要な栄養素です。

従いまして、精米度の進んだお米を用いて酒造りを行うという事は、酵母にとっては大変過酷な環境下に置かれる事を意味します。

このような飢餓状況に酵母を追いやり、さらに通常よりも低温の環境下で仕事をさせると、酵母はエタノールの他に、

酢酸イソアミルやカプロン酸エチルなどの高級アルコール類を産生するようになります。

吟醸酒が持つ独特のフルーティーな香りは、これらの高級アルコール類によってもたらされます。

また、吟醸酒造りにおいては他の日本酒で用いられる酵母は使われず、吟醸酒造りにより適したタイプの酵母が用いられるとの事です。

 

日本酒製造に用いられる酵母はサッカロマイセス・セレビシエ(Saccharomyces cerevisiaeという種類に属するものが殆どですが、

大豆麹乳酸菌発酵液で用いている酵母も同じ仲間に属します。

酵母とパン


酵母菌は英語でイースト(Yeast)と呼ばれますが、

製パン業ではむしろこちらの名前の方が一般的かも知れません。

製パンでは、小麦の「こね粉」に少量のイーストを加えて

適当な温度でしばらく寝かせたパン生地を用いてパンを作りますが、

寝かせている間にイーストが発芽し、

こね粉中の水と栄養分を利用して発育~代謝活動を行います。

代謝によって二酸化炭素が産生されますので、

こね粉中には無数の穴ができて膨らみますが、

これがパン特有のフカフカ感を作りだします。

 

このような、パン生地にイーストを用いるのは

偶然の産物によるものだといわれています。

中近東やインドで日常的に食べられているパンの種類には、

我々が普段食べているようなフカフカしたものではなく、

具が乗っていないお好み焼きのようなものがたくさんあります。

恐らく、このような、小麦粉を水で溶かしたものを焼き釜の上で薄く伸ばして焼いたものがパンの原型で、

その後に、

こね粉を放置したものが自然の酵母の作用で穴ぼこだらけとなり、これを焼いてみたらフカフカして美味しくなる事が分かった、

というのが現代のイーストを用いたフカフカパンの始まりなのでしょう。

 

これら製パンにおけるイーストの役割は、パンにフカフカ感を与えるだけでなく、

単なる小麦粉焼きであるはずのものに微妙な風味を与える役割もあるようです。

酵母と乳酸菌の関係


自然界においては、酵母と乳酸菌との間に、

切っても切れない密接な関係がしばしば観察されます。

農家の庭先の柿の木に取り残した柿の実が

冬になってもぶら下がっているのを時折見かけますが、

これらは放っておくとそのうち発酵し、

甘い香りを発するようになります。

このような状況となった残り柿を調べると、

多くの乳酸菌と酵母がペアとなってしばしば分離されます。

 

このときの発酵過程を微生物学的に考えますと、

始めに乳酸菌が出現して乳酸を産生し、

雑菌の繁殖を抑える結果、

その後の酵母の生育を促すと考えられます。

酵母はインベルダーゼ酵素を産生して

柿の実のショ糖をブドウ糖に変える事により、

乳酸菌のさらなる糖利用を促します。

このとき、酵母はインベルダーゼの他にもビタミンなどの乳酸菌促進因子を産生しますので、両者互いに協力し合って発酵過程を進行させます。

酵母はブドウ糖からアルコールを産生し、最終的に、甘い香りを発する柿の実の「猿酒」が出来上がります。

 

日本酒製造過程においても乳酸菌と酵母が協力します。

 

江戸時代に行われていた「きもと造り」と呼ばれる技法では、

まず始めに酒母(しゅぼ)を作ります。

酒母とは文字通りその後のお酒の元となるもので、

米麹と蒸し米に水を加えてすりつぶし、

低温で発酵を開始させて作ります。

酒母の中では初めは硝酸還元菌が繁殖しますが、

その後ジリジリと温度を上げる事によって乳酸菌が優勢になります。

乳酸菌は乳酸を産生して酒母のpHを低下させ、

雑菌の繁殖を防ぐ働きをします。

このような状況下において、

酒母の中では次第に麹菌と酵母が繁殖し、

麹菌はお米のデンプンを糖に変え、

さらに酵母が糖をアルコールに変えて行きます。

このようにしてできた酒母を元にして、これにさらに蒸し米と水を加えて拡大培養して行くのが「きもと造り」です。

 

「きもと造り」は雑菌の繁殖を防ぐために寒い冬場にお酒を仕込まねばならず、

また昼夜通して時間通りに頻繁に酒母を攪拌しなくてはならないので、

大変過酷な労働が必要とされました。

日本酒の製造も段々近代化し、微生物学の知識が浸透して来ると、このような「きもと造り」は行われなくなってきました。

雑菌の繁殖を抑えて酵母や麹菌の働きを促進するために、

現代では、乳酸そのものを直接添加して人工的に雑菌を抑える環境を作り出す製法が一般的です。

けれども現代においてもなお、昔ながらの「きもと造り」にこだわって独自の味を醸し出そうと試みる蔵本も未だ多いとの事です。

 

このように、

異種の生物が互いに協力し合って共存するような状況を生物学用語で相利共生といいますが、

乳酸菌と酵母は相利共生の典型例の一つであるといえます。

カスピ海地方で昔から飲まれている「カスピ海ヨーグルト」も、

酵母と乳酸菌の典型的な相利共生の例の一つです。

 

大豆麹乳酸菌発酵液では乳酸菌と酵母の共生培養を行います。

 

その理由は、酵母が黒糖のショ糖をブドウ糖に分解して乳酸菌の利用を助けると同時に、

ビタミンなどの乳酸菌増殖因子を供給してくれるため、

培養が比較的難しい乳酸菌でも良好に生育してくれるからです。

酵母の機能性


醸造学的な有用性以外にも、酵母菌には各種の機能性が知られています。

酵母の菌体は金属元素を蓄積する性質がありますので、セレニウムや亜鉛などの微量元素を摂取するために酵母がしばしば利用されます。

また、酵母菌体を構成する細胞壁には免疫賦活作用が報告されています。

酵母に関する参考文献

 

 ●酵母からのチャレンジ 田村学造編 1997 技報堂出版

 ●微生物学の一里塚 藤野恒三郎監訳 1985 近代出版

 ●日本酒の近現代史 鈴木芳行 2015 吉川引文館

 ●ヴォート生化学 1996 東京化学同仁

 ●カビと酵母 小崎道雄編 2007 八坂書房

 ●発酵・醸造食品の技術と機能性 北本勝ひこ監修 2011 シーエムシー出版

 ●食品と微生物 児玉徹編 2008 光琳

 ●発酵食品への招待 一島英治 1989 裳華房

 ●酒と熟成の化学 北條正司、能勢晶共著 2009 光琳